私たちが見ている世界は、真実ではないと言われると
何を馬鹿げたことを言っているのだろうと思うだろう。
でも、これは本当。
真実は、誰かの手のひらで生かされている存在で
自分自身を生きているように思うけど、
実はコントロールされ奴隷的な存在。
誰かの手のひらで生かされているというのは、
大なり小なり家庭でもそんな構造は存在する。
この世はフラクタル。
小さなところで起きていることは、
大きなところでももれなく起きている。
例えば、
夫の手のひらで、夫の顔色を伺いながら生きていないだろうか?
子どもは、お母さんの顔色を伺いながらいきていないだろうか?
それに氣付いて反抗すると力をもって裁かれる。
それこそが、誰かの手のひらで生きていることになり、社会はその連鎖が起こっている場所。
どこでストップするのか、
どうすればその連鎖が止まるのか。
それは、私たち一人一人がその構造に氣付き、一人一人が神の分身であることを識り、
その目醒めによって一斉に立ち上がることによって初めて手のひらという枠が壊れる。
目醒めよ、日本人。
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