「シークレットブッダ」っていう言葉を聞いたことがあるだろうか?
身近にいる弱者を見返りを求めずに親切にすると、
その人はシークレットブッダの可能性が高いから、
めぐりめぐって自分のところに大きな福が回ってくるよ
という話だったと記憶している。
最近、この言葉がふとよぎり、何だったっけ?と調べるけれども、記憶している内容が出てこなくて、代わりに出てきたのが、
「幸せは不幸の顔をしてやってくる」
ドンピシャではないけれど、マイナスのように思うところに
自分の人生の原石が転がっているという点では、
どこか似ているような気がする。
「1/4の奇跡」という映画で、ペルーの遺跡から発掘された壁画の話からこんなことを紹介していた。
指が六本ある手の周りに五本指の手の人が守っていて、真ん中の人が大切にされている壁画が残されていました。
弥生時代も一番いいところに障害者がいて、古代の人はその不思議な力を知っていたのです。
昔の人は先天的な障害のある人のことを、特別なお役目があり、病気には意味があることを知っていたんでしょうねと。
我が家では、ハンデキャップを背負った長男がシークレットブッダ的な存在。
彼のためにとやったことは、結局自分たちに多大な恩恵をもたらしてくれた。
見えない世界を学び始めると彼の有難さに気づき、
慌てて「今まで良しとしてきたことは間違っていたわ」と謝り倒し、
散々謝ったあとは「ありがとう」の感謝の日々。
自分の物差しを変えて世の中を見ることで、捉え方が変わり人生が好転する。
そうそう、長男が右半身麻痺を抱えていたためにピアノを両手から左手一本にして弾き始めたら
いろんなところでオファーをいただき、新聞やテレビに出演するところまで至ったことなどは
その典型かもしれない。
大切なことは、目の前にきたことをどう捉えて行動するか。
「引き寄せの法則」を追い求め、下手な「ポジティブシンキング」で
自分のネガティブを逆に強化してしまうより、
弱者を大切にすること、不幸と思われる事柄を気づきに転換することで
着実に人生は好転させることができる。
これから、見透かされる時代。
強がっていた人は本物でないことがバレ、
昔のように障害者が見直される時代になるのかもしれない。
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