私がやりたいこと

先日、セミナーを受けに京都に行っていました。

そこで、出会った人から、


「自分が本当にやりたいこと、ちゃんと選んでますか?」

と言われ、


「ちょうどやりたいことに向かって、怖いけれど

そっちかなと一歩を踏み出したところなんだけど、、、」


見えない世界が見える人から受けた質問だけに、

「それって、今、私が本当にやりたいことだったのかな?

あんなに悩んで考えたけれど」と

その決心もあっという間にグラグラする自分がいた。



そして、

「あなたがやってきたことは、ボールを投げられて

投げ返しているにすぎない」

と指摘されたことに、又グサッときた。



これ、私だけじゃなく、

多くのお母さんが陥っている姿ではないだろうか。



私の場合、結婚した時からその前兆があり、

子どもが生まれたことで完全に私の人生は受け身になった。



特に私は、息子が難病となったために、

私の人生は、彼に起きる体調に振り回され、

いつ何時、どうなるかわからない様子に


自分自身の中から湧きでてくる

「私は何が好きで、何がやりたくて、どうしたいんだ」という

心のスイッチをオフにして


でも、思い出した!

最初は、何が起きるかわからない受け身の世界に違和感を感じ、

誰かに振り回されるのが苦手で嫌で仕方がなかったんだ。

だけど、


「それが当たり前。お母さんなんでしょ。そういうもんなんや。」

と言われ、

疑問にもったままいることの方が辛く、

自分自身に「お母さんなんだから」と言い聞かせながら、

目の前で対処しないといけないことに追われ、

又、それに対処する姿を家族や社会に褒められることによって、

益々私は、受け身でキャッチして投げ返すことに磨きをかけ、

それが私のやりたいことなんだと思うようになった。


でも、受け身であることは私の最も苦手なこと。


私は、息子の面倒を見る延長の中で

許された時間空間を工夫し

自分らしさをギリギリのところで失わないことを

あがいて生きてきた。



ずっとずっと「自由」になりたかった。



うつ病で倒れた時に、

このまま死んだら、自由になれるかなと思ったが、

二人の息子を見ていたら、

仕事の代わりはいるやろけど

母親の代わりはおらんから、

死ねなくなったなと思った。


そんな私の心の葛藤を知らない主人や私の母は、

息子に寄り添う中で、小さくも自分を表現する私に

それができない自分と比較して、

「何を言っているんだ!

もう十分自由にしているやん。

それ以上何を望むのだ。」

と言う。



そして「一人だけいい思いはさせない」

と言わんばかりに足を引っ張る。



現実問題として、

「時間」と「お金」を自由にしてもらわなければ、

心は自由にはなれない。



「自由」になるために

「お金」を稼がなければと働くと

企業の奴隷、時間の奴隷になり、

結局「自由」から離れる。



でも、「お金」や「時間」よりも先に、

私は解放しないといけないことがあった。


それは、

長年、家族を形成する上で培った

ボールを投げられたものに対処する「体質」


まず、投げられたことに対する反応からの行動をやめよう。


自らの中から湧き上がってくることからの行動

これを再確認することを丁寧にやっていきたい。


私の場合、「こうやって湧いてくることを書く」ことはやりたいことであり、

それを書く裏には、

「誰かと想いを共有して、共振したい」という想いがある。



患者会の世話人を長らくしていたのも、

辛い想いを共感することで、共振して、

相手の心が溶けることを知っているから。

これは、以前書いた身近に見られるホメオパシー効果でも言っている。


今回のセミナーの中で、

『魂振り(タマフリ)』という言葉を教えてもらった。

魂が震える=感動する

魂を動かす=感じる

タマフリは、魂を揺り動かすことで生命力を活性化させること。

この行為は、魂を清めることにも繋がるらしい。

話を聞いた時に心が震えた。


「タマフリ」

これ、私のやりたいことのど真ん中だわと。



「誰かと想いを共有して共振すると心が溶けて軽くなる」

これを誰よりも体験して知ってるから

その想いの連鎖をさせたい。


全く共振しない家族に囲まれて辛い想いをしたのも

全ては「共振を伝えていく人だから」だろう。


共振できる人と一緒に

心震える体験をしながら

お金と時間の奴隷から解放され、

人生そのものを震わせて、

心の自由を手に入れたい。


これから、私と私の仲間と共振したい人が繋がれる受け皿を作っていこうと思う。

小さくても自分発信のできるルーム。


この構想、一度ダメになったんだけど、

それは器が「自分の家」という

最も私が自由を奪われていたところだったんだよね。

人の想念、恐るべし~

私の失敗が誰かのヒントになりますように。


ココロとカラダをととのえる mahina

はじめまして、宮下桂奈です。 右半身麻痺で難病の息子に寄り添う中で知ったココロとカラダのバランスをととのえるヒモトレ、波動をととのえるグッズの数々、そして自ら考案した自然素材とヒモをコンセプトにしたハンドメイドランジェリーのことに加えて、皆さんのココロのバランスをとるのにお役立ていただける情報を日々雑感とともにお伝えしていきたいと思います。 どうぞよろしくお願いします😊

0コメント

  • 1000 / 1000