善人という着ぐるみ

世の中、善人という着ぐるみを着ている人がいっぱいいる。
かくいう私もそうだった。
いや、今でも時折り気付いたら着ぐるみを纏っている時があり、慌てて脱ぎ捨てる。


偽善という言葉を考えてみたことがあるだろうか。

偽という言葉は、人の為と書く。

漢字とはよくできたもんだ。


私がこのことに気付かされたのは、ホメオパシーを学んでいる時だった。
グループワークをする中で、「良い人って、どんな人?」の問いに、 

 

優しい人
人の為に一生懸命尽くせる人
気配りできる人
自らすすんで人の嫌なこともやれる人
人当たりも柔らかく、周りともうまくやっている人 etc...


書き出してみると、

自分にとって都合の良い人を「いい人」って思っている節があり、私って勝手だなと氣付く。

また、いいことをやっている人の方でも、実は自己犠牲を良しとする価値観で、

社会の目を気にしてただ協調性スキルが高いだけなのかもしれません。


自分を抑えて人にいいように見られる行動って、

それって本当にいい人なのだろうか?


ここまで書くと、実は、いい人じゃないんじゃない?と氣付くかもしれませんね。

そう、実は下心あって怖い人かもしれません。

でも、やってる本人も気付かずにいい人を演じている可能性って大きいのです。


なぜ、こういうことが起きるのかというと、

良いことをするのが良い人だと学校で教えられ、

社会全体がそのような機運であるために、

もう私たちの中の無意識領域まで根付いてしまっているからです。


本当は「いい人」って、自己犠牲ではなく、

自分らしく、常に安定した心持ちで生きている人ではないのかな。


本当のいい人と偽りのいい人の見分け方は、自己犠牲の上にあるかどうか。

なので、自分の行動を常に自分のやりたいの線上にあるかどうかを確認することが

本当のいい人になるための第一歩だと思う。


今朝、この記事を書いていたら、はづき虹映さんの「はづきなラジオ こころの扉」で

タイムリーに以下のYouTubeがアップされた。

言いたいことに通じるものがあるので、少し紹介。

「優しさ」ニセモノの「優しさ」は人を深く傷つける「矢刺し差」


さて、自分が、偽りのいい人を演じたがっているのに気付いたらどうするか。

その時は、なぜそれをしないといけないと思っているのか自分自身に問うてみよう。

すると、インナーチャイルドの問題が浮き上がるかもしれません。

そこまでくると関門突破の可能性は高い❔


執着しているものを手放し、心を軽く穏やかに…

すると自分にも人にも優しくなれて楽になるよね。


偽善者でいる間は、自分が赦せてないから人も赦せず、とにかく厳しい眼をもっている。

おー怖っ💦


慈愛は、自分を乗り越えた人だけが出せるエネルギー。
そこを目指して、まずは、偽善を手放す勇気から。


どうせ、わかる人には、その着ぐるみは全て見えてるんだから

これ以上の恥ずかしいことはないことを知ろう。

ココロとカラダをととのえる mahina

はじめまして、宮下桂奈です。 右半身麻痺で難病の息子に寄り添う中で知ったココロとカラダのバランスをととのえるヒモトレ、波動をととのえるグッズの数々、そして自ら考案した自然素材とヒモをコンセプトにしたハンドメイドランジェリーのことに加えて、皆さんのココロのバランスをとるのにお役立ていただける情報を日々雑感とともにお伝えしていきたいと思います。 どうぞよろしくお願いします😊

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