私はつい最近まで、自分が世間ずれしているなんて思ってもみなかった。
しかし、コロナへの対応や、当たり前のようにマスクをする人を見て、
この一年で私はかなり少数派であることを痛感した。
じゃあ、どこで何が違ってしまったのだろう?と振り返ってみると
私は、大学時代、研究室の教授の方針で社会に出た時に役立つからといって
小さなテーマを決めて、動機、実験、結果、考察、発表を繰り返し練習させられていた。
それが、息子の病気を機に、わからないことだらけの病気を前に
なんでかな?と思ったことを試して、とりあえずの結果を得た後、考察して発信と
気が付いたら大学時代の延長のようなことを繰り返し、
どうも自分の人生で壮大な実験を繰り返してきたようだ。
それが、今となってはとても役に立っていて、
大なり小なり、いろんな場面で、相変わらず
動機、実験、結果、考察、発表を繰り返している。
これ、教科書を丸覚えしてテストに向かう現代の学びと違って
学びの型だから、いろんなところで応用が効く。
知らずとはいえ、この型に出会えていて本当にラッキー!
型、基本形というものは、どの世界でも存在し、それを学ぶ場所が学校なんだろうけど、
学校での学びは、いい学校に行くためとか、受験に有利なためとか、まず動機が不純だ。
若い人には、純粋な動機を持つことから始まり、是非、型の存在を知ってもらいたいな。
それを知ると無駄走りなく便利だから…
私の大学の学びは森林・林業。
当時、女性はほとんどいない世界だから、
この時点ですでに世間とちょっとズレてたかもね。
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