「自信がない」という人へ

「自信がない」という言葉を聞いて、

私もそうだったなと最近思えるようになってきた。

 

なぜ、過去形になれたのかというと、

単に洗脳が解けたにすぎない。

 

私たちは、自信がなくなるような

洗脳教育をされてきたということに

気付きさえすれば、

自信がある、なしというのは

どうでもいい世界になる。

 

そんな私でも、今でも、

「それ自信ないな~」って想い癖で

考えてしまうことはあるけれど、

最近、そういう気持ちになるときは、

「自信がないのではなく、やりたくない」

と思っていることが多いような。

 

 

今日は、私の中でのダークゲッソリな過去について、

少々長いが書いてみたいと思う。

 

思い出したくもない、

私から「自信」を失わせた落ちこぼれ時代のこと。

 

自分の中で封印し、人には

全く語ってこなかったけれど、

今は、その時代があったからこそ、

人に優しくなれるし、

落ちこぼれだと思っている人にも

共感共振ができる私になれたかな。

 

 

そして何よりも良かったのは、

障害者となった息子の気持ちに

寄り添えるようになったこと。

これは、落ちこぼれ経験と鬱病経験が大きかった。

 

それでは、

私にとってなダークな高校時代の話、

はじまりはじまり…

 「自信がない」という言葉を聞いて、 

 私もそうだったなと最近思えるようになってきた。


 なぜ、過去形になれたのかというと、

 単に洗脳が解けたにすぎない。 


 私たちは、自信がなくなるような

洗脳教育をされてきた

ということに気付きさえすれば、

「 自信がある、なし」というのはどうでもいい世界になる。 


 そんな私でも、今でも、「それ自信ないな~」って 

 想い癖で考えてしまうことはあるけれど、 

 最近、そういう時の気持ちになるときは、 

 「自信がないのではなく、やりたくない」 

 と思っていることが多い。


 今日は、私の中でのダークな過去について、

 少々長いが書いてみたいと思う。 


 思い出したくもない、

私から「自信」を失わせた落ちこぼれ時代のこと。

 自分の中で封印し、人にはあまり語ってこなかったけれど、 

 今は、その時代があったからこそ、

 人に優しくなれるし、 

 落ちこぼれだと思っている人にも 

 共感共振ができる私がいる。


 何よりも、障害者となった息子の気持ちに 

 寄り添えるようになったのも、 

 落ちこぼれ経験と鬱病経験が大きかった。 


 それでは、

私にとってなダークな高校時代の話、 

 はじまりはじまり… 


 神戸市内でも有数の公立進学校に行くことになり、

最初は張り切って行ってたものの、

周りの賢さに圧倒され、

最初のテストでは30点代だったかな。

その後もそれくらいとれたらいい方で、

1桁、10点台、20点代はざらだった。

 

授業の速さが新幹線だったら、

私の理解力は普通電車、いや自転車だったかも❓

全くついていけず、

最後尾の車両が全く見えなくなって久しく、

やる気をなくしたのは言うまでもない。

 

そこで

「勉強では勝ち目がないなら、

副教科があるじゃないか‼️

私は、元々、副教科人間だったんだから」

と思い直してみたけれど、

賢い子は、副教科もかなりのレベルで

敢えなく撃沈ガーン

 

そんなこんなの高校生活は、

落ちこぼれた友達同士、

開き直って楽しんでた感じかな。

それは、それで楽しかったけれど爆 笑

 

中には、落ちこぼれから奮起して塾に通って、

新幹線タイプに追いつく人もいるけれど、

私は、部活動(器械体操)に励むことで

学校の中での自分の居場所を確保していた。


 しかし、この部活動。

部員が10人くらいに対して、

体育教師2人態勢で休みは週1回。

危険を伴う競技なので、

練習内容も、怖い、きつい、しんどいで、

辞める人もケガ人も続出。

 

ケガ人がでると残された人への負担がまた増し、

お互いが見張り合いをしているような

いや〜な空気があったな。

 

高二の夏、

ふくらはぎの肉離れで1か月ほど松葉杖生活をした時も

「上半身は鍛えられるから練習に来なさい」

と顧問の先生から言われ、

夏休み、炎天下、松葉杖をついて

公共交通機関を乗り継いで徒歩で

部活だけのために学校に行ってたよな〜💦

 

部活の思い出は、

技ができるようになった嬉しさや

試合にでる楽しい気持ちよりも

怖い、痛い、つらい、苦しいと

精神的に追い詰められていた記憶の方が

よく覚えている。

 

それでもその部活を辞めなかった、

いや、辞められなかったのは

「部活を辞めたら、私は、

この学校に何をしにきたのかわからない」

 

自分の存在意義として、

「価値のない人間」になるのが怖かった

 

ということと

 

数少ない部員同士、

お互いに「あなたは辞めないよね」という

変な見えない縛り合い?共同体意識?

のようなものがあったからだと思う。

 

 

部活を引退した後は受験に向けて

勉強する期間は十分あったけれども、

どちらに向いて走ったらいいのか

よくわからなかった私は、

勉強に身が入らず、

受験した大学はことごとく落ち、

親に頭を下げて

浪人させてもらうことにしました。

 

浪人の動機は、

「自分が本当にアホかどうか知りたかった」

ただそれだけ。

 

勉強したらできる子なのか、

予備校という懇切丁寧に教えてくれる環境なら、

高校の授業では全くわからなかったことが

わかるようになるのか

私のプライドにかけて試してみたかったのです。

 

そして、1年浪人し、

進路も医療系から農学部系へと変更し、

無事に三重大学に合格して行くことになりました🌸

 

自分なりに一年頑張ったとはいえ、

その後も長らく学歴コンプレックスを抱えた人生を

送っていました。

これ、振り返ると、

大したことのないレベルと

自らの価値にレッテルを貼っていた訳で

すごい偏った物差しで

自分を測っていたなと思う。

でも、これが今の社会のあるあるで、

 成績がいいことこそ価値がある

という学校教育の弊害。

京大や東大に行った人も

どこまで行っても自分より賢い存在はいて、

まだまだ頑張らないとと

ずっと走り続けているのだろうか❓

競争社会とはキリがない世界。

そして、そこに投資する親がいて

経済が動くのである。

「全ては洗脳だったんだ」と

気付いた今となっては、

ガッツリ先生の話が聞けなかったから、

「それっておかしくない❓」と気付くことができ、

洗脳から脱出できて良かったと。

執着とジャッジを外すことが

洗脳から脱出するコツなんだけど、

頭脳明晰で社会的成功をすると、

人をジャッジしまくる地位に座り、

その座に執着しがち。

賢い人の洗脳が解ける時は

果たして来るのだろうか❓

私は、二人の子を育ててみて、

「ありがとう」と「ごめんなさい」と

あいさつがちゃんとできることの方が

生きるには大事やんって思っている。

 

 

そして、あの浪人の時に、

「自分の好きって何だろう?」とふと考え、

医療系じゃないよなと気付き、

進路変更できたことも良かった💓

好きを見つけ、嫌がわかることも大切。

 

肩の力が入ることなく

自然体で過ごせる大学を選んだことで、

4年間の大学生活は

それはそれは楽しい日々✨でした😆

 

 

「自信」って

あるように見える人も

話してみると案外なかったり。

 

 

「自信ある」と言う人の中でも、

世間知らずな人から、

場数を踏んで自信を深めた人までいろいろ。

 

 

「自信」はあってもなくても

やることとは関係ないのだから、

そんなの気にしなくてもいい。

というのが私の持論。

 

 大切なのは、

ただ、目の前にきたミッションを

楽しんでできるかどうかだけ。

 

やっていくうちに、変な「自信」ではなく、

共感してくれる人の数だけ

「自分を信じるポイント」が

溜まって「自信」に繋がるのだと思う。

 

自信のない人に足らないのは、

きっと体験。

 

失敗から学べば、それは意味ある失敗で、

失敗にはならない。

 

実際、偏差値の高い学校に行くのがベストと

思って行った進学校での落ちこぼれ体験は、

社会人になって子育てに役立ったよ。

 

あなたも、どうぞ自分のダークな過去を

掘り起こしてみたらいかがですか?

きっと、意味ある時代を

過ごしていると思いますよ😊

ココロとカラダをととのえる mahina

はじめまして、宮下桂奈です。 右半身麻痺で難病の息子に寄り添う中で知ったココロとカラダのバランスをととのえるヒモトレ、波動をととのえるグッズの数々、そして自ら考案した自然素材とヒモをコンセプトにしたハンドメイドランジェリーのことに加えて、皆さんのココロのバランスをとるのにお役立ていただける情報を日々雑感とともにお伝えしていきたいと思います。 どうぞよろしくお願いします😊

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