昔、虐待を受けて亡くなった少女のニュースを聞いていた時、
「この子の心ってドーナツみたいに穴が空いてたから虐待に耐えてたけど、
もうこの世は十分って、真ん中に魂を戻して死を選んだんだわ。
虐待を受けている時って辛すぎて魂が心の真ん中から避難してたんやな。
その状況が日常になったら、ずーっと魂はどっかにいったままで、
その間は虐待に耐えることができるけど、
そのかわり自分の意見もなくなってしまう。
それはまるでゾンビそのもの。」
「そしてゾンビになったのがバレたらまずいから、
聞いた知識をさも自分の意見のようにして言ってみたり。
多くの人が外に正解を求めるのはこのせかもな。」
って何か悟りのようなものが降ってきた。
不思議な感覚を味わってたら、また、あっ、そうかと降ってきた。
「ゾンビは制御不能だから、
ある時、幼少期にプログラミングされたことが発動し、
自分が受けた悲惨な状況になると勝手にスイッチが入って、
やられたことを今度は加害者としてやってしまう。
それが虐待の連鎖。」
「認知症の人は、現実逃避で心がドーナツみたいになってて、
だからやっぱり制御不能なゾンビ。
そうなると自由になりたかった人はその執着で徘徊。
好きなものが食べたかった人は、食べたことを忘れるなど、
起きている現象は心がドーナツで空いているからなんだわ。」
と妙に納得した記憶がある。
そんなことを思いついたときから、およそ二年。
その間に、コロナ騒ぎがあり、
正直、心がドーナツ化してゾンビになっている人がこんなに多いとはと驚いている。
心がドーナツ化するのは虐待だけではなく、
どうも自分の意見よりも協調を重んじる社会通念や教育によって培われるのかな。
ゾンビ化した人は、魂がそこにない、
又は魂はあっても発動させてないから、動かし方もわからなくなっている状態。
心が真ん中で発動できない状態にあるから修正しようと支援する人の対処は難しい。
きっと関わりとしては愛を送って真ん中に心を戻すこと、
魂の発動にスイッチを入れるところからしか始まらないような氣がするんだよね。
今、日本の夜明け、世界の夜明け、宇宙の夜明けを迎えても、
動かなくなっている魂はどんな反応をするのだろう?
夜明けは喜ばしいことだけど、マスクを身に着け、
コロナにおびえているこの類の人は、周りの反応をみながら喜ぶのだろうか?
マスコミに煽られて怒り狂うのだろうか?
それとも、現実逃避の道を選ぶのかもしれないな。
自然は、夜明けを素直に受け入れ、春の日差しを浴びてキラキラ輝いているけれど、
人間だけは素直な反応ができる人とできない人と。
いろんな覚悟を要するこの春だなぁ😌
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